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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

自由律

制限されていると同時に自由であるというのはいろんな人が色んな所で言っているような気がする。どう動いてもどうせ規定内なのだから思うように動けばいいという趣旨のことを手を替え品を替え。

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属法人

やっぱり誰が語っているかだよなあ。瞑想も一介の素人が勧めてくれば胡散臭さで息が詰まるけれど天下のグーグルがサーチインサイドユアセルフなどといえばとたんにおしゃれじゃないですか。いやもちろん前者と後者では瞑想は瞑想でも同じことを語っているのではないのかもしれませんが、中身はこの話においてはどうでもよくて、ほら、受ける印象がだいぶ違うでしょう、同じ「瞑想」という文字面を使っているにもかかわらず。

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周期性

何年かに一度やってくるトマトジュースおよび野菜ジュースその他の健康によさ気な赤めの果汁飲料ブーム到来。

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B/S, P/L, C/F, F/S, .....

あーぜんぜんgaccoの会計プロフェッショナリズモ進められなかった!
平日にちまちまやってくしか無いな。

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受け渡す

職場のリーダーはマニュアルを準備・管理する体制を整えよ的なかなりえらそうなご提案をした覚えがあった。
hirschkalb.hateblo.jp
一言では、手取り足取り教えてあげなさい。なぜなら部下はあなたほど優秀ではないのだから。ということだった。そして手取り足取りとはどういうことかといわれれば、ちゃんとマニュアルを作っておきましょう。加えて、作ったマニュアルは作ったその日から品質保持期限を迎えるような生物だからメンテナンス体制も整えましょう。そういう内容なのでした。
8年も経てば自分でしゃべっていたことも違えてくる。先の提案は、人を機械扱いしているようなものじゃないか。やっぱり背中を見て育つ体制が人間らしいじゃないか(ついでにいえばリーダーもそのほうが楽じゃないか!)。
しかし『明日、機械がヒトになる ルポ最新科学』(海猫沢めろん講談社現代新書)を読んでいると、インタビュイーの石黒浩がこんなことを語っているから案外だった。

石黒 あれすごいですよね。あれは人間=ロボット化システムだと思っていて、それもね、実用化しようとしているんですよ。
──ええっ!? それ、どういうものですか?
石黒 たとえば、今でも接客業などでは、人間向けのマニュアルがありますけど、すべてが書かれているわけではないですよね。でもね、本当は、マニュアルをロボット向けのプログラムだと思って書くと、逐一書ききれるんです。そして、人間を単なるモバイルプラットフォームだと思って、全部プログラミングすると、かなりうまく動かすことができるんです。

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出版自体がメッセージ

野口悠紀雄が音声入力で本を書いたということで、ほんとこのアーリーアダプトっぷりには頭がさがる。野口悠紀雄は本の中身を見ずに批評することにかなり厳しいひとという印象があるけれど(「えっ? 本を読まずに批評する人なんているの?」とお思いですよね。そんなふうに考えていた時期が私にもありました。まあ「坪内祐三 野口悠紀雄」で検索してみてください)、これは読まなくてもおもしろい。こういう本が出たというだけで「わかりやすく、ためになり、おもしろい」。

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蝉の声

つまり静けさが好きとか攻撃性がないのが好きというのはかなりの贅沢な趣味だと思わなければいけない。これを確保するためには慎みのない交渉も必要だし鉄壁も必要だしそれを可能にする力も必要だし。たとえば防音室なんてのを買うにはいくらするか。

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うるさい

静けさが好きな人には生きにくい世の中なんですね。騒音のような音楽を大きな音量で流すことが好きな人はそうやって他人を攻撃することができる利点があるけれど、静けさというのは分け与えられないんですね。「しーん!」という音には攻撃性がない。というより音ではありませんから、何かの拍子でたちまち崩れ去る。これが好きだというのだから、日常では生きづらさを感じずにはいられない。星新一の話に大枚をはたいて無音のレコードを買うというのがありましたっけ。ともかく静けさが好きな人にとっては防戦一方であって、さもなくば騒音の源から離れるか騒音の源を破壊するかいっそ騒音を好きになるかまたは静かなところに越すかもしくは鼓膜を破るか命を絶つかというもううるせえわ。ほんとうるさい。

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くすぐったいナレーション

ニッポン戦後サブカルチャー史でひとつだけくすぐったいところがあるのは、あたまとおしりのナレーションの原稿だな。

  • 「時代の空気を」「敏感に感じ取った」「象徴的な出来事」的な言い回しは今後なしにする
  • 「90年代」言い過ぎない
  • 「ぼくらはどこからきてどこへゆくのか」的な言い回しもなくする
  • 要するに取ってつけたような序論、妙な物語を紡ぐ結論は語らなくてもいい
  • 事実を淡々と述べるあるいは何も述べないで宮沢章夫の本論だけにする
  • 「愛と独断の講義」なんだからあたまとおしりで普遍性をもたせようとしなくていいと思う
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自然

自然さゆえに良しとする人にとりあえず二種。
  1. ◯◯は自然のことだからよい
  2. ◯◯は自然の結果だから仕方がない
もし後者なら◯◯を自然と良しとしてないので……。
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選別

出生前診断を選別を理由に良しとしない人にとりあえず二種。
  1. 選別自体がだめ
  2. 選別によって◯◯が棄てられるからだめ
もし後者ならその主張そのものこそが……。
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誰が喋っているか

私は以前「サブカルをお手玉に何かアカデミック風に語ってみせるのは好きじゃない」と述べたことがあったのですが。
hirschkalb.hateblo.jp
これはちがったな。語る人の問題、語り口の問題だったんだな。だって、宮沢章夫のニッポン戦後サブカルチャー史はふつうに観ていておもしろいから。

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いいよね

かつては革を育てるとか経年変化を愛でる的な趣味にけっ、とか思ってましたが、私はどうやら自分がけっ、とか思うことを実は心の底では欲しているらしく。
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How!

なんであんなにものの扱いを雑にできるんだろう。いや、この問いはちがうな。こうだ。どうやって、あんなにものの扱いを雑にできるんだろう?
だってかなりむずかしいよ? 机の引き出しを膝で閉めたり、鍵を机の上に放り投げたり。かなり意識してやらないとできない。どうやってあんなにナチュラルに雑にできるんだろう。
苦手すぎる。
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