hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

二重効果のジレンマ double effects

『論理パラドクス』(三浦俊彦著)のp.179、「二重効果のジレンマ」の解説がよくわかりませんでした。
識者に論駁していただくため、あえて挑戦的な表現を用いると、「もっと簡単に答えが導き出せるような気がしました」。

問われているのは、要約すれば次のようなことです。

『瀕死の末期癌患者5人をかかえた医師のところへ1人の健康な臓器を持った患者が健康診断に来た。医師はこの患者にメスを入れ、臓器を取り出し5人の末期癌患者を救った。』(A)


『暴走列車が線路上の5人の作業員を轢こうとしている。脇の引込み線には1人の作業員がいた。運転士は列車を引込み線に突っ込ませ、線路上の5人の作業員を救った。』(B)


日本の法律の下、(A)の医師は殺人罪に問われる。一方、(B)の運転士はおそらく起訴されることもない。この違いの根拠は何か?

この問いについて、本編では16くらいの誤答例を取り上げて、ひとつひとつ論駁しています。誤答をいくつも載せるというのは、特にこの本全体に見られる傾向というわけではありません。つまり、この問いへの解説が特殊なのです。

したがって、「この問いにはもっともらしい多くの誤答が出るだろう」という作者の予想があったのだと思います。しかし、私にはそれほど誤答の頻出する問題とは思えませんでした。満を持しての回答(pp..183-184)も少し難しい。

これは私の認識が甘いのか。反論を望むべく、私の回答を以下に晒してみることにいたします。

私の回答

医師は自由意志で最良の選択肢を選ばなかった。一方、運転士は制限された中で最良の選択肢を選んだ。

詳細

一見すると、両者は「『一人を死なせて五人を助ける』か『一人を助けて五人を死なせる』ことしかできない」という同じ状況下に置かれているようです。しかし、実は医師の選択肢のほうが多い。しかも、それこそが選ばれるべき最良の選択肢でした。

前提: p.174の通り、『「救う」よりも「殺さない(傷つけない)」ことのほうがはるかに義務度が大きい』とします。(例を挙げると、ひき逃げされた人を救わなくても刑法上は罪に問われない。一方、ひき逃げした人は罪に問われる。)

医師の選択肢 〜 自由意志で動かすことのできるメスを誰に向けるか
  1. 健康体患者に向ける。
  2. 末期癌患者に向ける。
  3. 誰にも向けない。
運転士の選択肢 〜 自由意志による制御が不能な暴走列車をどこに向けるか
  1. 脇の引込み線に向ける。
  2. 本線に向ける。

なお運転士には「何もしない」という選択肢はできません。何もしないことは、選択肢2を選んだことと同じです。
3. 何もしない。→自動的に本線に突入する。

したがって、医師には選択肢が三つ用意されていることになります。一方、運転士には選択肢が二つしか用意されていないことになります。

医師の最良の選択 〜 3. 何もしない。

結果、5人を「救わない」こととなる。
(末期癌患者5人を「殺した」のではない。医師が何かをして末期癌患者にしたのではないから。)
(ちなみに、健康体患者1人を「救った」わけでもない。なぜなら、はじめから健康体なのだから。)
※これ以外の選択肢はみな「殺人」になる。メスは勝手に人を刺さない。

運転士の最良の選択 〜 1. 脇の引込み線に向ける。

結果、5人を「救う」こととなる。
(5人は黙っていれば死んでいた。したがって、「救った」ことになる。)
(ちなみに、命を絶つ事態そのものはいずれにせよ避けられなかった。)
※どの選択肢も「殺人」にはならない。暴走列車は運転士が居まいが人を轢いていた。

実際に採られた行動:

医師 〜 1. 健康体患者に向ける。(最良の選択肢でない)
運転士 〜 1. 脇の引込み線に向ける。(最良の選択肢)


なお、「運転士には『最良の選択肢』など存在しなかった」という主張が仮にあったとしても構いません。それは、「どちらを選んでも同じくらい良い」という主張と同じことです。



はて。どんなものでしょうか。。。

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