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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

みんなのためのシークレット・アジャイル開発 a silent agility for the good of the company

アジャイルな開発手法を取り入れるとき、推進者が過度に情熱的にならないことが大切なようです。個人的には、そういった考えには共感します。そして加えるならば、私は「できるだけひっそりと取り入れることが望ましい」とも感じています。


アジャイルプラクティス』(Venkat Subramaniam and Andy Hunt 共著)の中で、私の好きなプラクティスのひとつに「28 インクリメンタルにコードを書く」というものがあります。これは、何時間も通しでコーディングする方法に対して、反対に、編集・ビルド・テストのサイクルを短く何度も回すことを推奨するものです。いわば、継続的なフィードバックを望ましいとする考え方です。

あまり情熱的にならないこと

仮にこのプラクティスを導入する事例を考えてみます。先に述べたように、まず大切なのは、この手法をあまり情熱的にメンバに強要しないことです。たとえこの手法がどれほどメンバのためになろうと、導入を強制しなければならない理由はありません。


理想を述べるなら、この手法を取り入れた私の生産性が実際に高まり、「なぜそれほどうまくいくのか知りたい」と誰かに言われて初めて伝える、という流れです。

むしろひっそりと導入すること

次に考慮したいことは、周囲のアジャイル開発に対する感想が、

アジャイル?聞いたことはあるけど(何かいかがわしい)」

といったものである場合における対処です。個人的には、このような現場は、少なくないのではと感じています。そして、このようなメンバに囲まれている場合の導入に対する私の意見は「ひっそりと導入したほうがよい」というものです。


その理由は、「見つかって、潰されることを恐れる」からです。周囲を見る限りコーディングに対する姿勢は、だいたい次のようなものです。

「がーっ」と書いて、そのあとwarningを取り除きつつコンパイルを通す。lintで何やら言われたらそれもまとめて対処する。

そして、先に述べた「インクリメンタルなコーディング」に対する感想は、私がその手法を取り入れていることを述べた際の上司の感想を例に挙げると「あ・・・そうですか。・・・非効率(苦笑)」といったものでした。*1


ここまでならば、さしずめ「残念だった」という感想で済ませられなくもありません。


しかし、問題は、この感想に続けて、「がーっ」と書くスタイルを強制させられそうになったことです。このような状況は、できれば避けたいところです。こちらにアジャイルな手法を強要する権利がないのと同様、上司にも自身のコーディングスタイルを強要する権利はないからです。


以上の話を一言で言えば、「アジャイルの芽を摘まれそうになった」ということです。アジャイルな手法を「おとなしく提唱するどころか、場合によっては積極的にひっそりと導入せよ」と主張する理由は、以上の通りです。

「ひっそり」はみんなのため

一見すると「ひっそりと取り入れる」ことは、まるで自分だけがいい思いをしているかのような表現に捉えられる恐れがあります。しかし、そうではありません。「いい思い」になる手法だと思われていないことが問題なのです。そして、周囲は、良心からその手法を矯正しにかかる場合があるのです。


何か取り入れたい手法があって、それがみんなのためになると思えばこそ、場合によっては誰にも一切宣伝せずに導入することが大切なのかもしれません。提唱者が自分であることを積極的に隠し、かつ高い成果を生み出すことが望ましいように思います。

*1:これが、私の生産性を評価した結果なのか、それとも手法を純粋に評価した結果なのかはグレーです。いずれにしても好評ではなさそうでした。

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