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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

「すごい人」の功罪

人間性を無視したことを望む者は、人間社会に生きる身である以上、不幸にならずにはすまない。
塩野七生『第32章 不幸な男(その二)』(『男たちへ』収録)

なぜ、「すごい人」がいることのマイナス面を意識する必要があるのか?

「すごい人」たちに影響されることの功罪、というか、おもに、「罪」側について考えてみたいと思います。


師匠のような人物がそばにいることの効用は、よく語られる話ではないでしょうか。一方で、「『功罪』の『罪』のほう」を意識させられることは少ないように思います。


しかし、これを意識しておくことは大切であると私は考えています。


弟子にあたる人の心の持ちようによっては、「すごい人」がそばにいることが、必ずしもよいことづくしではない、と思うことがあるからです。


問題は、「『すごい人』を選定しているのは弟子自身であること」です。

どのような人がすごい人?

たとえば*1、月400時間以上働く人が自分の職場にいたとしましょう。


ふつう、月300時間以上働く人は「働きすぎ」と思ってよいのではないでしょうか。そういう意味では、この人は「すごい人」といえるでしょう。


この人に感心して「月270時間も働いていない自分が、労働時間についてぶつくさ文句を言ってはいけない!」と意気込むこと自体は、特に問題とは思いません。


しかし、そのように考えた上で、「なんて自分は怠け者なのだろう」と思ってしまい、気落ちし、まるで戦力外通告を受けたかのような気持ちになってしまうならば、十分に問題があるといえます。


医学的に根拠のあることをいうことはできません。しかし、一見して「すごい人」が

  • 「該当箇所の神経が太いから」○○ができる人。
  • 「該当箇所の神経を切っているから」○○ができる人。

これらのどちらにあてはまるのか、ということを考えてみることが大切だと思います。


この段階で「すごい人」の選別に間違うと、誤って自分も該当箇所の神経を切ってしまう*2かもしれません。


しかし、それはいわば該当箇所を「鈍感」にするということです。この場合でいえば、眠くなったときにアラームが鳴る機能を切り落とす、ということです。


その人が「何かを得て」すごくなった人なのか、「何かを失って」すごくなった人なのかを考えることで、「師匠選び」の失敗の確率を下げることができると考えます。

具体例

対象はソフトウェア開発の現場に偏ってしまいますが、いくつか具体的な事例を挙げてみたいと思います。私の個人的な意見では、概して、力技に頼っているものに関しては「『該当箇所の神経を切っているから』系」だと割り切って、まねをしたりあこがれたりすることのないことが望ましいように思います。

  • 長時間労働に耐えられる(一名、「徹夜力」)。
  • 同じコマンドを、自動化を試みることなく繰り返し実行することができる。
  • 風邪を引いても会社に来られる(風邪を引いたことに気付かない)。
  • 無理難題を引き受けられる。
  • 一行ずつ目で見ていくしかないと言って、実際に数万行のソースコードを目視で走査できる。
  • プアな開発環境であることに耐えられる(自分の環境に気付かずにいられる)。
  • 同じ失敗を繰り返すメンバに対して、それでも何度も手順書を作らずに指示できる。

「本来ならば身につけなくてもよいこと」という意味では、バッドノウハウといってもよいのかもしれません。*3


これらは、「こういうことができるようになる」ことを目指すのではなく、「このような状態にならずに済む」ことを目標としたいものです。


なぜならば、「こういうことができるようになる」ことで、身の回りの状況はさらに悪化することが予想されるからです。


書いてみて初めて気付いたことですが、挙げた項目のほとんどは、どれも機械ならば得意とされているものです。

「武士は食わねど高楊枝」?それとも「腹が減っては戦はできぬ」?

「武士は食わねど高楊枝」は江戸時代に生まれたことわざであるといいます。一方、「腹が減っては戦はできぬ」はより起源が古いものであるようです。


前者を精神的といえば、後者を肉体的といえそうです。最後まで「高楊枝」で貫き通すことができるならば、それは立派なことだろうと思います。しかし、精神に異常をきたすまで「高楊枝」で耐え、最後には病気で苦しんでしまう人もいるでしょう。


私は、多くの人は「お腹が空いたら動けない」という当然のことを認識していたほうが、無理なく生活していくことができるように思います。


力技に頼る人は一見して周りからの評価もよいものです。「その人がいないとプロジェクト回らない」といった評価*4を受けている人も多いように思います。


その人たちは、実際に、「すごい人」なのでしょう。しかし、そのすべてを真似しようとすると、きっとまちがいます。同じ「すごい」であっても、得ることですごくなっている箇所と、捨てることですごくなっている箇所があるのだろうと想像します。


あるいは、その人の身体的特徴から見れば、何も無理なく実行できることなのかもしれません。それが、そのまま自分の身体にも合うスタイルなのか、ということを考えたほうがよいでしょう。


同じ努力をするならば、「何かを切断する」系の努力よりも、文字通り「身の丈にあう」スタイルを見習って努力したほうがよいといえます。
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*1:この記事は実際の事例を参考にしていますが、述べている人物はすべて架空の人物です。もし、同様の人物が実在したとしてもそれは偶然で、述べている人物とはまったく関係ないことをお断りしておきます。

*2:実際に「ロボトミーを行う」といったお話ではなく、カフェインを多量に摂取してみたり、長時間労働に慣れるための努力をいろいろと試みることを指しています。

*3:「神経を切る」という意味では、スルー力なのかもしれませんが。

*4:これは本来ならば悪い意味の評価として使われるべきですが。

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