hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

嫌悪の情の中に見える真実

嫌いなものごとをその理由とともに克明に描き出すことを「知性の証」と勘違いしていた時期がありました。


何かに不快感を示すことはときに自分のこだわりを示すことやそれに対して一定の関心・ポリシーを持っていることのアピールとなりえますが、さらにそれが予期せず知性の証跡へと変質することもあるわけです。

「よくある手法」


誰でも一定の知性を備えていることアピールしたい思いに駆られたことはあるでしょう(と思います)。したがって、嫌いなものを遠路はるばるやってきて人に語ることは「よくある手法だよ」とはわかっていても、なかなか抑えがたい魅力を持っているのだといえましょう。*1

本題


以上のようなマクラを前提に、今日このごろ思い出すたびに憤りを禁じえないものを(理由は添えずに)2点挙げておきたいと思います。これを嫌う理由はいずれ別の機会に感情論抜きに、つとめて論理に従った方法で示したく思います。現在では感情論にしかなりえないことが目に見えているのです。

近頃なぜかとても苦手なもの

  1. 組版処理ソフトウェアTeXおよびLaTeXの「伝道師」などと呼ばれている人およびそれを自称する人の一部
  2. 幼いころ現代かなづかいを先に習っていて、かつ、ある日啓示的に歴史的仮名遣拘泥しはじめた人。


どちらも文字の表記方法に関する問題として、共通項でくくれそうな気がしています。ちなみに、念のために断っておきますと、私はTeX自体や歴史的仮名遣そのものに関してはおおむね好意的、といいますか、むしろひいきにしたいほどの思いを抱いています。


1に関しては特に以下の点において穏やかでない心持がします(すべての語末に「……と私には感じられる。」と付記すべき、単なる感情論に近いですが)。

  1. WYSIWYGを1階層低いもの、およびWYSIWYGなシステムの使用者を劣位に見るかのような傾向。
  2. 生身の自らの存在価値を高めるためか、FAQ的な情報に対する貴族的な対応と平易ならざる記述説明。
  3. 同様の理由からか、GUI・TUI*2への可能性の芽を懸命に摘み取りTUI*3に固執する態度。
  4. 中途半端な美学と腰の定まらぬ美的センス。
  5. あるレファレンスについての「読まなくても棚に飾っておけ」的発言だの、「伝道師」だの、通常敬称略でよい文脈でわざわざ「クヌース先生」と呼ぶだのといった、ある種の教理の見え隠れ。


2に関しては以下のようなものがあげられます。

  1. 和紙と硯と墨と毛筆とで万葉仮名をつづるまでには退行しない、若干の物足りない懐古趣味。
  2. 多数派の読者に対するのっけからの配慮不足。
  3. わざわざネイティブ表記からそれなりの練習・苦労を経てがんばって脱したために歴史的仮名遣が使われていたころの根本精神が伴っていない。
  4. 現代人に対しての読みにくさをむしろ是としている。(内容の乏しさを隠したい?)
  5. 単純に「このほうが賢そうだから」「好きだから」という理由は挙げず、「このほうが論理的だから」という理由で推す。


ちなみに1と2との特徴を兼備したような方の言説を見かけたことがあるのですが(歴史的仮名遣による組版システムソフトウェアの擁護だったか)、こういった融合はまずまずの感興をそそるものです。


さて、このままでは単に「こういうのがいけ好かねえ!」「キモい!」と悪態をついているに等しいので、各項目については今後の論理的な洗練が待たれるわけです。(誰に?)

*1:嫌いなものを熱心に語ることが知性のアピールとなる、という説が正しいとすると、ことあるごとに「キモい!」を連発しがちな一定の人たちはわりと自らの「知性発露」の欲求充足行動に忙しい人たちといえます。

*2:こちらはTangible User Interfaceの略。

*3:こちらはText User Interfaceの略。

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