hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

悶々

夏目漱石の『門』、ぜんぜん読み終えていないけれど、なんだか私のことを書かれているような感じのする箇所がいろいろあって、書き留めておこうと思います。ここに書かれているのはかつての……といいたいけれど実はいまでもそのようである、私のことですし、多くの「私」たちが共感するところのものでもあるのかなと。

こういう古典の場合、ページ数なんてしるしてもあまり意味がないし、ましてや電子書籍リーダで読んでますのでなおさらですね。検索だ、検索。(なお太字は私のせい)

日曜になったら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗な湯に首だけ浸ってみようと、常は考えているが、さてその日曜が来て見ると、たまに悠くり寝られるのは、今日ばかりじゃないかと云う気になって、つい床のうちでぐずぐずしているうちに、時間が遠慮なく過ぎて、ええ面倒だ、今日はやめにして、その代り今度の日曜に行こうと思い直すのが、ほとんど惰性のようになっている。

六日間の暗い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいるだからやりたい事があり過ぎて、十の二三も実行できない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると、かえってそのために費やす時間の方が惜しくなって来て、ついまた手を引込めて、じっとしているうちに日曜はいつか暮れてしまうのである。

自分の勝手に作り上げた美くしい未来が、半分壊れかかったのを、さも傍の人のせいででもあるかのごとく心を乱している小六の帰る姿を見送った宗助は、暗い玄関の敷居の上に立って、格子の外に射す夕日をしばらく眺めていた。

このほかにも、美装された本を見ても中身をちっとも確かめようという気が起きないこと、金時計をみてもあまり買いたいと思わないこと、襟飾りをみるも明日からこれにかけ替えたところがくだらないと思うこと、など。

そんなに買いたくもないなら店に寄らなければいいと思うでしょう、しかし、実際には私を強烈に誘惑してほしい。それなのに、ああ、どれもこれもどうしてここまでくだらない!!!  ……という感じなのかな。

「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ。学校をやめたって、いっこう差支ない。御前の方がおれよりよっぽどえらいよ」

 

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