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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

《被修飾語となっていた私がいて》話法

ときどき「~していた私がいて」という言い方を耳にする。

  • 気づいたら泣いていた私がいて
  • そのとき彼の幸せを願っていた私がいて

だいぶ昔のテレビで、大仁田厚がこの言い方を好んで使っていたのが印象的だったけれどそれはともかく、この言い回しは少しばかり鼻につく。鼻につくので、思いを同じくする人をネットから探そうとすると、これがなかなかひっかからない。

しかし諦めきれないので、とりあえずこの言い方にせめてお名前でも与えておこう、とするのが今回の日記の目標。

泣いていた私にかんする文のばあい、もしこの言い方が鼻につくのだとすれば本来、私はどう話してほしかったのかというところを考えると、おそらくこうなる。

  • 気づいたら私は泣いていた

同じく彼の幸せを願う私にかんする文は、できればこう言ってほしかった。

  • そのとき彼の幸せを私は願っていた

本来(=私の好みとして)は文の主語と述語となるところが、その主語は被修飾語に、そして述語は連体修飾節になっている。いや、気づいたら被修飾語になっている主語がいて、連体修飾節になっている述語がいたのである。

サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な答えが出ているらしいのですが、私のこの名付けに関するささやかな悩みについても学問的な分類は済んでいるようなのです。みなさんのご家庭にはきっと一冊ずつある『レトリック事典』の115ページを見ると《名詞句化成》ということについて解説があって、本件もこれなのだと思います。

用語としての西洋語はnominalisation(フランス)というのだそう。

レトリック事典は完全に読み物として買ったのだけど、まさか辞典として使うことがあろうとは思いませんでした。

本件は、表現形態としての《あや》のうち、《代換》のなかの《名詞句化成》というところに収まるものごとのようです。

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