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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

夜中になると意味もなくキーボードと長文を打ちたくなり打つなり

正確に言おうとすれば、あいまいな表現にならざるを得ない。そういうときがある。私は、ときどき自分で「たぶん」だとか、「という気がする」だとか、「わかんないけれど」とか、そういった言葉を使い、あとでそういった言葉を使ってしまったことに少々の後悔をし、そうやって私は律儀にも逐一後悔手続きを踏んでいるというのに、同じような言葉づかいをしその反省の端も見せぬような人に対しては、お前も一緒に後悔しろなどと思って腹を立ててしまうことがあって、きっとそのたびに寿命が縮んだり髪の毛が抜けたりしているのだろうと思うけれど、じつはそんな怒りを持つ必要はどこにもないのかもしれない。なぜならば、右に述べたとおり、それは私のしゃべったことが情報として不完全であったり、その真偽のほどが甚だあやしいことを自覚しているからで、そのことをもふくめて正確に言おうとするならば、どうしたってそういう言葉の付着した表現にならざるを得ないからで、それだから、たぶんなら言うなとか、気がするだけなら言わなくてよろしいとか、よくしらないならばしゃべらなければいいじゃないかとか、そういうことを言われるような問題ではないことになる。

とはいっても、人の話すことなんてもともと不完全であることが大前提のはずなのだから、あまりそうやたらめったらつけるもんじゃねえのよな、とは確実に思っているところもあるわけで、たぶん程度の問題であるような気がするしらんけど。

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