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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

スルースキル観測者効果?

論理的・論理風 ひまつぶし

ほんとスルーするのはむずかしいです。スルー力を高めるのはもっとむずかしい。なぜって……。

  • スルー力高低の基準はどのようにして測られるか。
  • 言い換えれば、スルー力の高さ・低さの基準は何か。

このことを考えてみると、意図的に高めることの難しさがわかる。

基準はたぶん、こうでしょう。

ある人はスルーでき、またある人はスルーできないようなものがあったとき、前者の対応をとれるか。

だれでもスルーできるものをスルーしても、スルー力が高いとはいわれない。なぜならば、だれでもスルーできるものなのだから。定義上、あたりまえ。

反対に、だれしもがスルーできないものがあって、それはたぶん、スルーしてはいけないものだから、そこでスルー力の高低を語られることはない。

上のことからわかるように、スルー力の高低を自ら評価しようとするときは、かならず、自分と、もう一人を用意しなくちゃいけない。そのもう一人については、想像上の他人(の集合)でよくて、べつに実在していなくてもいい。

「これって、私だからスルーしたようなものだけど、別な人だったらとてもじゃないけどスルーできなかったろうなあ。私はスルー力が高いなあ」

「これって、別な人だったらきっと華麗にスルーしているところなんだろうけど、私にはスルーできなかったなあ。私はスルー力が低いなあ」

ということで、スルー力を自己採点できるような状況にあるということは、スルーできた人とスルーできなかった人の両方の気持ちに自分自身が立つことができているということであって、そういうすれすれのところにいて、どちらかに片足を踏み出そうと思案している段階なので、実はスルーできているようでスルーできていないし、スルーできていないようで工夫次第ではスルーできそうなものでもある。

先生、その工夫ってなんですか。

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