hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

同様に同じらしい

hirschkalb.hateblo.jp

ちょっとまえにこういうことを書いていたのですが。すなわち、「浮気相手がいま付き合っている相手と同一人物なら浮気はなかった」「再婚相手がいま結婚している相手と同一人物なら再婚はなかった」。まあ、後者はちょっと日常では「ある」んですけど、それは置いておいて、同一人物にすることで浮気や再婚を消している感じがかっこいいということを書いたことがありました。これ、正式な名前があったようです、という話をします。

まず、浮気や再婚の消去というのは、いいかえるとこんな感じ。

浮気していない人の定義:xと付き合って、かつ、yと付き合う。そんなことがあるのだとすれば、xとyは同一人物である。

∀x∀y(Sx∧Sy→x=y)

一回しか結婚していない人の定義:xと結婚して、かつ、yと結婚する。そんなことがあるのだとすれば、xとyは同一人物である。

∀x∀y(Mx∧My→x=y)

ちょっともう一例だけ(「論理学をつくる」(戸田山和久、名大出版会)から)。

アランはペネロープを愛している。しかもペネロープだけを愛している。

≈アランはペネロープだけを愛している

≈アランが愛しているのはペネロープだけだ

≈アランが愛しているのはペネロープと同一の人だけだ

≈アランはすべての人を愛している。そんなことがあるのだとすれば、そのすべての人はみなペネロープと同一人物である

∀x(Lax→x=p)

ということで、日常言語を式に翻訳するさい、同一性記号(=)を使った同一人物化とでもいいたいような操作でめでたく表現される感じがなんとなく職人技っぽいのですが、これはどうやら同一者不可識別の原理(principle of indiscernibility of identicals)とかライプニッツの原理(Leibniz's principle)と呼ぶっぽい。

ちなみに先述の記事には「新たに述語定項をこしらえずに云々」書いてあるのですが、「=」だって述語なんですね。「Exp≈xとpは同一である」という述語を使ってアランとペネロープのことを∀x(Lax→Exp)と書いてもいいけど、でも同一性ってよく使うじゃありませんか、それならば「=」という論理定項を認めようじゃありませんかということであって、もともと「同一である」という述語には変わりないのでした。

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