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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

蛇足無視

論理的・論理風

たしかに《悪はみな等しく悪である!》は、先の記事で反論できたのかもしれない。

hirschkalb.hateblo.jp

しかし、《悪はみな等しく悪》であることの具体例として挙げられていた文章についてはどうだろう。すなわち、

「人を銃で殺そうが刀で殺そうが殺人は殺人だ!」は依然として正しいのではないだろうか。やはり《悪はみな等しく悪》なのではなかろうか。

という疑問がまだ残っているように見える。これに対しては次の反論ができそうだ。

  1. 「人を銃で~」は正しくて、《悪はみな~》は誤りだ。
  2. 「人を銃で~」は誤りだし、《悪はみな~》も誤りだ。
  3. 「人を銃で~」は当座の話に無関係で、《悪はみな~》は誤りだ。

なお、《悪はみな~》がすべてのパターンで誤りであるのは、とりあえずそういう前提だからです。これまでの話の進め方によっておよそ自動的に誤りと設定しているので。「そもそも、私は《悪もみな~》が誤りだってことに、ちっとも納得してないんですけど!」ということはあるだろうけれど、いまここではその話をしないということです。

それで、「殺人は殺人だ」というのは形式的に真でしょう。「A=A」のAに何を入れても、(この形式ゆえにいつでも)正しい。だから、1は採用され、2は却下される。これで十分だろう? という気がする。いったい、3は何のためにあるのか。

「人を緑色の金属バットで殺そうが紫色の金属バットで殺そうが殺人は殺人だ!」は依然として正しいのではないだろうか。やはり《悪はみな等しく悪》なのではなかろうか。

この文章のちょっとしたわけの分からなさから3の存在理由が見えてこないだろうか。つまり、「凶器の色が違っても人殺しは人殺し!」と言えば、そのことはきっと正しいけれど、いや、そのあからさまな正しさゆえに、かえって、ほとんどの人から「知ってた」とか、「……で?」といった反応が返ってくるはずだ。

「太陽が東から昇ろうが地球が自転しようが殺人は殺人だ!」は依然として正しいのではないだろうか。やはり《悪はみな等しく悪》なのではなかろうか。

こうするとさらに3の形の反論の意義が見えてくる。つまり、「やはり」以前の文章は実はまるごといらないのだ。なぜなら「やはり」以前の文章はどれも《悪はみな~》を支えてはいないから。ということで、「やはり」以前は実は真だろうが偽だろうがどうでもいい、これが3の形の反論だ。

かりにまかり間違って「殺人は殺人ではない」ということがあって、またはそうなることが決まっています、というようなことがあっても、当座の《悪はみな~》を論ずるにあたっては何も関係のないことなので、前半の文章は特になんとも評価しません、という形だ。

……なんかもっときれいに書きたいなあ。「余計なとこ叩かなくていいよ」という一言で済むのかもしれない。

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