hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

解答編その1~その2(仕掛り)

hirschkalb.hateblo.jp

直前の記事で列挙した問題への解答編。

その1に対する回答。

これに対しては次の反論ができそうだ。

  1. 「人を銃で~」は正しくて、《悪はみな~》は誤りだ。
  2. 「人を銃で~」は誤りだし、《悪はみな~》も誤りだ。
  3. 「人を銃で~」は当座の話に無関係で、《悪はみな~》は誤りだ。 

……さて、反論のパターンはこれしかないだろうか。

もちろんこれだけではない。こんなのはどうだろう。

  • 「人を銃で~」は正しくて、だからこそ一層、《悪はみな~》は誤りだ。
  • 「人を銃で~」は誤りだし、それゆえに尚更、《悪はみな~》は誤りだ。
  * 「人を銃で~」は当座の話に関係大ありで、それゆえに、《悪はみな~》は誤りだ。

実際にどのように論理展開するつもりなのかは置いておいて、単にパターンの話としては、こういうものもありだろう。前半の文「人を銃で~」を、後半の文《悪はみな~》とは無関係な意味のない文章として捨ててしまうのではなく、逆手に取って使ってしまうのだ。 このコンセプトを表しているのが*の文章ということになる。ちょうど3と正反対の構想になっている。

その2に対する回答。

それで、「殺人は殺人だ」というのは形式的に真でしょう。「A=A」のAに何を入れても、(この形式ゆえにいつでも)正しい。
……これはなんだかもっともらしいが、本当に本当だろうか。 

論理学上の規則がそのまま日常言語に通用するかどうか、という話である。

まず基本的なことを確認しよう。2つ前の記事は(われながら)いみじくもこう述べている。

[…]そのことはきっと正しいけれど、いや、そのあからさまな正しさゆえに、かえって、ほとんどの人から「知ってた」とか、「……で?」といった反応が返ってくるはずだ。 

そう、人はふつう、あまりにも当たり前のことは言わないはずなのだ。「A=A」なんていう情報量0のトートロジをわざわざ鼻ぴくぴくさせながら言うもんだろうか。私たちは、《受け手が必ずしもそうとは思っていないかもしれないだろうこと》を話す。

P1 当たり前のことはふつう発言されない

P2 当たり前のことが発言された

───────────────────────────────────────

P1が誤りだった or ふつうの事態ではなかった or P2が誤りだった

P1が誤りということはなさそうだ(直前で確認したばかりだし)。そして、事態がどうだったかはわからないけれど、普通に考えれば「ふつう」の事態だったはずだ。ということで、P2が誤りのようである。つまり、実は「当たり前のことが発言された」のではなかった。

 そうだ、ポーリーヌ、たしかに父親はいつも父親。この尊い資格を消すことはできない。

コルネイユ『ポリュクト』岩瀬孝訳)

という引用に続いて、『レトリック事典』(佐藤信夫佐々木健一・松尾大、大修館書店)は次のように解説している。

もし同じ意味で用いるなら、わざわざ「父親」は「父親」であると言う必要もない。つまり意味が変わっていることをわれわれはほとんど自動的に理解する。

ところで、少し話は横道にそれるけれど、「A=¬A」という矛盾式にみえるパターンもある。(同著より) 

 彼らと結ぶ和平は、和平などではなく、隷従契約なのだ。

キケロー『ピリッピカ』12,6,14、根本英世、城江良和訳)

これを引いた同著には、続いて、

ここでも、われわれは直ちに意味の違いを読み取るが、その違い方についていえば、やはり二つの異なった説明がある。

とあって、これはつまりですね……「A=A」式の文章をみて「ああ、ほとんど自動的に真ですね」とか、「A=¬A」式の文章をみて「ああ、直ちに矛盾ですね」とか思っちゃう人は《われわれ》とはちょっと違うか、あるいは、一時的に《われわれ》とは違う考えのモードに切り替わっている、ということなので、ちょっと落ち着こう。

反省的に考えてみれば、「A=A」式の話はいくらでも見つかるし、量産できる。

  • だめなものはだめ
  • よそはよそ
  • うちはうち
  • いいものはいい
  • うまいものはうまい
  • まずいものはまずい
  • 無理なものは無理
  • 写真はイメージです 

そしてこれをわざわざ唱えるからには、何か情報量がある。情報量があるからには、トートロジではなさそうなのだ。しかるに、

「人を銃で殺そうが刀で殺そうが[1殺人]は[2殺人]だ!」 

1と2の違いはなんだろうか。『レトリック事典』によれば、その違いは《概念の内包の増減》として捉えられそうだ。

……。

だがちょっと待って欲しい。やっぱり上記について言えば、「殺人は殺人だ」は情報量0なのではなかろうか。おそらく、話者の意図はこうである。

当座の話題の極めて馬鹿馬鹿しいことを伝えんがために、「殺人は殺人だ」という当たり前のことを述べたのだ。これは私なりのあたりまえ体操なのだ!  いいか、《悪はみな等しく悪である!》こんな分かりきったことは、議論に値しないんだ!

要するに「人を銃で~」文は、ほとんど「このような議論は馬鹿馬鹿しいと私は思います」という文と意図においては違わないということだ。いわば、情報量0の情報を唱えることの情報量……。それならば、当初の《「A=A」だから形式的に真でしょう》という進め方は、あながち間違っていなかったのかもしれない。

さて……。

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