hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

モンティ・ホール・ハズレ品問題

モンティ・ホール問題で興味深いのは、その結果が直感と反すること(そしてそのことが教訓なのではないこと(教訓は「情報の入手により確率は変わること」である))、説明を受けてもなお納得しがたい場合があること、マリリンを責めた数学者のその後のあゆみ(直截的に表現すると「どの面さげて数学者やってるのか」)、などあるが、これも加えていいのではというものがある。それは、「この問題の説明にあたってハズレのヤギの代わりに何を用いて説明するか」、つまり、解説者のセンスも興味深いのだ。

オリジナルのヤギをそのまま流用すればいいようなものだが、ときに解説者はセンスのいいハズレアイテムを提示することに注力するようだ。ちなみに私が見たハズレの品は;

  • (真っ赤なマセラティのかわりに)セルビア語で書かれたシェークスピア全集のような、はるかに面白みのないアイテム
  • (速くてかっこいい車を楽しむかわりに)トルラキアの方言で書かれた『トロイラスとクレシダ』の所有者になる
  • (車のかわりに)ピーナッツ・バターとか付け爪など車ほど価値のないもの

ハズレの品をわざわざ自分で考えたものに変更したうえ公表するのは少し勇気がいると思うのだけど(選んだ商品によっては解説者自身を危険に晒すことになる)、賞品が揃ってオリジナルの車のまま(せいぜい「マセラティ」という固有名詞にしたくらい)なのはおもしろい。

いや……というより、アタリはオリジナル(つまり車)のまま固定しておくことこそが重要なのかもしれない。際どいハズレ品を提示しても(それをハズレ品に据えれば特定の層から反発を受けかねないアイテムを提示してみても)、「いやいや、それってほら、車ほどは──ク・ル・マ・ほ・ど・は、価値はないよね? そう、車と比較してよ? クルマと。ね、そうすればべつに異論ないよね?」という弁解がなりたつ。

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