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hirschkalb's blog

"I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken."

ツッコミ待ちの文章

まちがってるわけではないのにあえて突っ込まれそうな言葉遣いをちょいちょいしていきたいというのは、結局、執拗に(    )で書きたがる人たちと同じようなメンタリティを持っていることの証明のような気がしてきて、そのことは甚だ私を悲しがらせるんだけど、まあともかく、あってるけど古臭い、あるいはあってるのに間違ってるとすら思われかねない言葉遣いは、魅力的だ!*1
たとえば漱石の『門』にはこんな感じの表現があって*2、こういうのは今でも使っていきたい気持ちになる。

そこに気つかなかった宗助は~
※気付かなかった宗助は、とやりたい気持ちになるけど、のほうが味わい深い(気がする)。

結論に到着すると~
※結論に到すると、と書きたくなるところ。

明日から襟飾りなどをかけ替えたところ下らない事だ~
※かけ替えたところ下らない事だ、と書きがち。

宗助は御米に対して永久に天気を保証する訳にも行かなかった。
※永久に天気を保証って……ちょっとおもしろい。

やむを得ず中途で立ち上がった。
途中で、とやりがち。

小六にちょっとした好奇心出たため~
※好奇心出たため、なんて書くところ。

御米には少し案外であった
※案外、という活用をするんだなあ……これ副詞のはずなんだけど、おもしろい。

自分に責任少しでも加わったため~
※責任

呼息よりほかに現実世界と交通のないように思われる深い眠も~
※ここに交通を使いますか……! どうしても交通=車の印象。

主人も評語を添えた
※言った、述べた、コメントした、といえばいいようなところもあえてこう表現したいかも。

そのうち定期の三週間も過ぎ~
※現代では定期単体を名詞として使う場合は定期券を指す場合が多いけれど、予定の代わりにいいかも。

こういう言葉遣いというのはレトリックともちがって(たとえばレトリック事典なんかで引いて出てくるものじゃなくて)、都度蒐集していくしかないのかもしれない。

*1:クソ意地悪いともいうらしい。

*2:当時は自然に使っていたのだと思うけれど。

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